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運営の感想「テンポ、文体、遊び、ペルソナ」

先日開催した哲学カフェについていくつか思うことがあったので自分のための記録も兼ねて、いつもの開催レポートとは別でブログに投稿します。

 

■テンポ

まず反省点から言うと、今回参加者数が多く対話のピーク時にテンポが早くなり過ぎていたように思います。基本的に参加者には挙手をしてから発言するというルールを守ってもらっているので、テレビの討論番組のようにみんなが一斉にワーワー話し始めるというようなことは起こっていませんが、やはりテンポの早さのために発言するタイミングを掴みづらい時間がいくらかあったように思います。そういう時は一度、対話の段落を変えるように、全体に黙考を促すような問いかけをして速度を調整してもよかったなと思います。コミュニケーションを重視するイベントでは量的な盛り上がりが良しとされるかもしれませんが僕は哲学対話においては、いかにゆっくりと語り、ゆっくりと考えることができるかが大事なことだと思っています。

 

文体

良かった点としては、今月も一層多様な対話が実現できていたようで良かったです。それは多様な考え方が出たという意味もありますが、それよりも多様な文体が混在できていたことの意味を特筆したいと思います。文体とは人それぞれの考え方、表現、語りのスタイルのようなものですね。福岡哲学カフェでは意見自体はもちろん、その語りや考え方においても「こういう風にすべき」というような正解や合理性を出来るだけ作らないようにしています。なので、参加者それぞれの個性的な語りにより多様で混沌とした対話が現れていたように思います。それぞれの人がそれぞれのマイペースさによってその都度、対話の文脈や、場の空気が破壊され、再構成されていることが目に見えて僕は心地よかったです。同調圧力や一元的な価値規範がない対話の渦中で、人は一人になることができます。そしてそれが哲学カフェや哲学における一つの癒しであるのかなと思っています。

 

■遊び
4月の哲学カフェの中で面白かったのは、対話の中で特定の概念を鍵にして哲学的探究の道が開かれていたことが見えたことでした。今月のテーマは「大人になるとは?」で僕が鍵になったと思ったのは「遊び」と「ペルソナ」でした。
最初どちらかと言えば「遊び」という概念に対して違和感の方が多くが発せられました。この違和感という影響の与え方は重要な意味を持つように思います。つまり、ある人の「遊び」という概念をそれぞれ自身の世界観に即して解釈しようとする時にどうにも困惑させられているという事態であったように見えたのです。遊びという言葉に困惑させられ、いくつかの違和感が言葉を持って表現されましたが、その解釈の差異を足がかりに応答が重ねられることで遊びという概念が立体感を持ち、深みを持ち捉え直されていく。それは困惑させなられながらも、その遊びという概念を読解しようという意思の元に起きた運動なのかなと思います。紆余曲折を経て、またちがう話題に飛びながらも、遊びという言葉自体が吟味され、最初の違和感という状態を乗り越え、何人かの思索に意味を与えて解釈され直されているように見えました。そこにとてもナチュラルに哲学的な探求の道が現れていたように見えました。

 

■ペルソナ

「ペルソナ」という言葉は違和感ではなく、むしろスッキリ納得!という風に多くの人の思考を促進させました。「大人」という概念を「こども→大人」という直線的な成長として捉えることで起こる思考の障害を、ペルソナという仮面、人間に課せられた役割として捉え直すことで、その問題をクリアにしました。一つの概念によって、それまでモヤモヤ複雑に整理できなかった考えがスッキリ理解できるようになることも一つの哲学的体験として僕の心に残った場面でした。